- トップページ 櫻山八幡宮 >
- 秋の高山祭 >
- 屋台を支える人々
屋台組
前記のように屋台のためにカネを出し合った人たちによって屋台組が出来、それらの屋台組によって屋台が維持管理され、祭が執り行われているのである。これらの屋台組は町内自治会単位にある訳ではなく、それとは別個の存在で町内に三組も屋台組があるかと思えば、数町内で一屋台組というところや、あるいは町内の一部が他の屋台組とまたがっているところもある。また、焼失や廃台で現在屋台がなく代車のみのところが四組あり、未だ屋台の創建のない組が三組ある。
更に、屋台組から転出すれば、いくらカネを沢山出してきていても権利は無くなるという不文律がある。その逆に転入者は前任者と同様の権利を即、持つが、同時に義務も発生する。厳しく、かつ、寛大な定めが屋台組にはある。
十戸前後小さな組から二百数十戸の大きな組まで
一口に屋台組と云っても、金鳳台組や仙人台組のように十戸前後のところから、神楽台組や鳳凰台組のように二百数十戸の大きな組まである。小さな組では、人員不足から昔組に居た人などの応援を得て屋台を曳いたりしているが、大きな組では、数多くの班に分け班単位の当番制をとっている。小さな組では役の当らない家は一軒もないから大変だし、大きな組になると数年に一回しか屋台に触れないという淋しさがあるが、いずれにしろ、屋台は組の宝物であり、誇りであって、大事にしようとする心は皆んな変らない。
屋台やわい
祭やわい(祭の準備)の最たるものは「屋台やわい」(屋台の飾り付け)である。 「祭寄り合い」(祭常会)で決めた日、大概は祭の直前の日曜日に、組内の当番全員が集り、当番主任の指揮により、屋台を蔵から曳き出し、布の蔽いをはずし、渋紙の包みを解き、樟脳袋を取り除いて現われた骨格のみの屋台に、千木、勝男木、鳳凰などの棟飾りを屋根に付け、四本柱まわりに簾や幕を張り、珱珞や総房(ふさ)を吊す。上段の勾欄を置き、中段に大幕を張りめぐらし、毛房を垂らし、見送りのある屋台はそれを付け、その他諸々(もろもろ)の飾りを付け終ると、いわゆる絢燗豪華な屋台となって、一年ぶりに人々の前にその姿をあらわす。
屋台組の人たちは、それを眺めて一様にホット溜息に似たものを洩らす。それは神経を集中してきた飾り付け作業の緊張感のほぐれとも、或いは、巨大な愛玩の美術品に久しぶりに相見(あいまみ)えた悦(よろこ)び、安らぎとも云えよう。飾り付けを終った屋台を眺めながら、片手に茶碗酒を持って、そのよろこびを語り合う屋台組の人々のうれしそうな姿を見かけることがよくある。その夜、当番主任宅で行われる子供たちの囃子の稽古の、太鼓や笛の音が聞こえてくると、屋台組の人たちの心はいよいよ昂ってくる。
屋台の曳行(えいこう)支える多くの役割の人
夕方になると、日が沈む前に、百個以上の丸子提灯を屋台に付ける。灯(あか)りは、昔はろうそくであった。屋根、上段、中段と大低の屋台は三段に提灯を並べる。その提灯には、その屋台を象徴する紋や屋台名が描かれている。
屋台を曳行(えいこう)するには多くの役割の人たちが必要である。前述の当番主任・大梃子・挺曳き(曳子)のほか、屋台の車をこじったり車の廻り止めをしたりするための小挺子を扱う人(小挺子)、屋台内にいて戻し車のジャッキ等を扱う人、やはり屋台内で棟の上げ下げをする人たち、囃子をする子供たち、駐台中に屋台を警固する人たち。このほか、からくりのある屋台では、これを操る人たちが居る。宵祭のときは屋台の前方で屋台名入りの棒通し提灯を持つ人たちが要るほか、弓張提灯を持って周りを警固する組もある。
昔、二百年ほど前には、多くの屋台にからくり人形があり、これを扱う人形方は屋台がかりの役割の中では花形で祭の立役者であったといわれる。囃子方もそれに近い役割であったろう。ろうそく方(提灯方)は近年まで気をそらせない役割であった。屋台蔵のない時代には重要な役割の雨具方があった。(屋台蔵のある現在でも曳行中の俄雨を考えると、この役割の重要さが見直されるべきであろう。屋台建方・仕舞方は、屋台蔵のない時代には、大変な労力と高い技術が必要であったろう。屋台曳方は昔は近在の農家の人たちを頼んでいた。囃子方の一部、笛吹きなど堪能な近在の人に吹いてもらったという記録もある。屋台組内の人が曳く現今の方が、昔より「おらが祭」となっている訳である。
屋台片付け
祭が終ると、大低の屋台組では翌日に「屋台片付け」を行う。屋台組の全員又は当番が集って、屋台を蔵から出し、各種の飾り等をはずし、樟脳を入れて所定の箱に納める。骨組だけになった屋台を掃除・手入れの後、部分部分や全体を布や渋紙で蔽い、蔵に納める。重く大きな蔵の扉を閉めると屋台片付けは終る。